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人生朝露

人生朝露

ヒトラー最期の12日間の日本。その2。

1945年、ヒトラーが自殺するまでの日本での主な出来事。

2月15日 最高戦争指導会議が、6月以降の本土決戦、ソ連の対日参戦の可能性を予測
2月16日 米軍、硫黄島に上陸
3月 9日 東京大空襲(死者8万人超)
3月13日 大阪空襲(死者約4千人)
3月17日 米軍、硫黄島を占領(死者2万1千人)
3月21日 小磯首相が国民党政府と和平交渉を開始
4月 1日 米軍沖縄本島に上陸
4月 5日 閣内対立により小磯内閣退陣
4月 6日 ソ連外相モロトフが日ソ中立条約の不延長を通告
4月 7日 鈴木貫太郎内閣成立

日本の報道は、4月に入ってから沖縄戦の戦果についてのものが多い。しかし、3月9日の東京大空襲、3月13日、14日の大阪空襲についての情報は乏しい。ちなみに、4月7日に撃沈された戦艦大和は、軍事機密なのでニュースどころか存在すら知られていない。

では、4月22日の朝日新聞の見出しから。

4月22日 砲爆激化 敵攻撃を強行 前線に亙り激戦中
      2大型船沈没 周辺に火柱十八本
      地方長官大移動 
      伯林へ十一キロ(米へんに千)に迫る
      市街地に長距離砲弾
4月23日 浸透敵部隊を撃退
4月24日 大東亜大使会議開く
      米英の専制許さぬ 国際秩序確立
      赤軍伯林突入 市街地中心で激戦
      白旗は非国民 ゲ宣伝相放送 悲痛な宣言(地図入り)

ソ連軍のベルリン突入は4月23日とされているので、この報道はかなり早いと思う。基本的にドイツの報道は平均して2日程度しか遅れていない。しかも、ドイツに関するニュースでは地図に連合軍の部隊の侵攻状況も載っていてかなり詳しい。下手をすると地下壕にいるヒトラーよりも詳しいのでは?しかし、皮肉なことに自国の沖縄戦について、連日報道しているにもかかわらず、米軍の部隊の配置は報道されていない。

4月25日 敵 上原、棚原で攻勢
      十九日以降 敵の出血六千
      ヒ総統 伯林で奮戦 周辺から官庁街に砲火
      桑港会談 けふ開く 群少駆り集めて四十六国 筋書どほり果たして踊るか
4月26日 西海岸の敵攻頓挫
      敵巡艦等九隻屠る
      ベルリンを両断 市街中央部で手榴弾戦 市内半分以上を占拠
4月27日 張国務総理来訪
      桑港会議ひらく トルーマン 各国の協力要請
4月28日 敵中央高地を攻撃
      火柱四本 艦種不詳二隻轟沈
      今ぞ一億総特攻 言譯や縄張争ひの秋に非ず
4月29日 天皇陛下靖国の御霊に御拝 
      ベルリン攻防戦 総統本営を攻撃 ヒ総統地下施設で指揮
      人員殺傷 一萬五千 前田、仲間付近攻防激烈を極む
4月30日 南部前線で敵攻勢
      荒鷲水上特攻九艦屠る
      伯林増援軍を待望 全市四分の三占領 死の町を覆ふ大火焔
(ベルリンの市内の情景も結構細かく報道してある。横倒しにした電車で築塁をしたというシーンは映画でも出ていた。あとはヒトラーユーゲントについても触れている。ベルリンでは女子も武器を取って戦っているという報道も目立つ。日本国内での本土決戦に備えてのことか?ちなみに靖国参拝の4月29日は当然のごとく天長節、いわゆる天皇誕生日。)

現実には、
4月25日 50カ国が参加したサンフランシスコ会議開催
      米ソ両軍がドイツ軍を分断しエルベ河畔で出会う(エルベの誓い)
4月28日 ムッソリーニ銃殺
4月30日 ヒトラー地下壕にて自殺
と、なっている。

5月 1日 陸海空に沖縄の敵を連続猛攻
      新に三十八船舶撃沈 殺傷一萬八千三百
      独の降伏説流布さる 米英も否定的
      ムッソリーニ統帥 党領袖と共に逮捕さる
      オーストリア新政権
5月 2日 海軍総隊司令部を新設 長官に豊田副武大将
      敵出血三千八百 前田、仲間西海岸で激戦
      独の降伏申し入れ問題 更に折衝を重ぬ
      ヒムラー国内総司令官と瑞典ベ伯
      ム統帥殺害さる 暴虐遺骸を街頭にさらす
5月 3日 敵艦四隻を轟沈破 空母二隻を撃沈す
      神風隊、荒鷲、鉄鯨が猛威
      ラングーンへ敵野望
      ヒ総統薨去(こうきょ)す 後任にゲーニッツ提督
      対ソ戦あくまで続行
5月 4日 聖戦飽くまで完遂 鈴木首相
      欧州戦局激変するも 我に万全の備へ
      ベルリン陥落 ゲ宣伝相自殺す
5月 6日 陥落後のベルリン 廃墟の劫火 赤軍も手を焼く
5月 9日 沖縄南部の我主陣へ 敵執拗な浸透策
      独の全軍降伏す ランス(北佛)の敵司令部で
      七日払暁 無条件調印
5月10日 ヒ総統の告別式 九日午前十時半 永田町在京ドイツ大使館にて
5月11日 祖国防衛の戦争は終わる スターリン元帥布告 
      ソ連の条件鵜呑み 伯林で降伏調印式
      ゲーリング元帥捕らわる
      ソ連更に拡大せん
5月12日 ヒ総統の遺骸発見か
5月13日 独国力回復は100年後 
      元ノルウェー駐屯ドイツ軍司令官ファルケン・ホイスト氏談


実際には、
5月 2日 ベルリン占領
5月 7日 ドイツ、無条件降伏(8日発効)

あの、朝日がヒトラーの死を「薨去」ですと・・。確かに、ヒトラーがフランスやオランダを攻撃してくれなければ、仏印や(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)蘭印(インドネシア)を占領できるはずもなかったのだけれど。

ドイツの降伏により、日本は更に孤立して敗色が決定的(これよりもはるか昔にそうなんだけど)となる。そんな中、5月10日には「特攻精神の欠如 独の敗因」という軍事評論家の陸軍少将大場弥平氏の発言も掲載。

>あの場合、ドーヴァ海峡に群をなす米英艦隊を殲滅したやうに独空軍も準備してゐたならば・・・あの時こそわれわれの体当たり戦術を発揮すべきだった

すでにこの当時、2万1千人の玉砕によって敗れていた硫黄島の戦いで戦った兵士達には何が足りなかったのか?4月から激戦を展開し6月23日までに沖縄で全滅した兵士たちや、駆り出された沖縄県民には何が足りなかったのか?尋ねてみたいもの。(ただし、硫黄島の戦いにおいては、米軍の死傷者が2万6千で米軍の方が被害は大きい。太平洋戦争で日本の方が被害の少ない珍しい陸戦。(もちろん、米軍は負傷者も合わせての数、日本軍は全員玉砕だからね))まぁ、その後、「特攻精神を持った」日本がどうなったかは語るまでもない。

ちょっと気になる戦時中の新聞広告をメモ。

・軍刀(二階)  日本橋 高島屋

・ドイツ語通信講座 紅露文平指導(ほぼ連日広告が載っている。ペン習字の通信講座もあり。)

・「この一戦に この一銭を」 大蔵省 (官製の悲しいダジャレ)
・「アルミ貨を航空決戦へ」 大蔵省 都道府県 中央物資活用協会(アルミ貨がすぐさま航空機の部品になるためにアルミ貨を納めましょうという広告も多し。)
・「醜翼射落とす弾丸となれ!一枚でも多く買うのがご奉公 弾丸切手 一枚2円」(切手といっても郵便切手ではなく、郵貯に入金させるためのもの)

・帝国臓器の天然女性ホルモン「オバホルモン」(完全に女性をナメておる。)

・松竹映画「乙女のゐる基地」。宣伝文句が「遥かな銀翼を眺めて彼女たちは自分の大きな使命に今更乍ら感動する。」(将軍様だけに愛を捧げる北の少女たちと通じるものを感じる。)

・同じく松竹の「桃太郎 海の神兵」の広告も。手塚治虫も感動したという戦前の日本のアニメーション技術の高さを実証する名作アニメ。(桃太郎が空挺団の司令官として南方の鬼の住む島へ落下傘部隊を降下させるという国策バリバリのエグイ内容。)宣伝文句は「お家族向きの傑作マンガ!大人も喜び子供も喜ぶ!こんな素晴らしいマンガ余り見られません!」確かに、今は教育上見せられません。

2005年 8月12日、13日


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